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ガイキチ歴 小さなころから ①押入

私の記憶の中で、もっとも古い(幼い)ものがいくつかあります。
どの記憶が一番古いのか、時間の前後は分かりませんが、
ある時期の出来事を、かなり鮮明に覚えています。

そのうちの1つ。

「鮮明」といっても、客観的な事実ではないのかもしれませんが、
その時の気持ち、いきさつ、自分目線の映像などが一体となったもので、
おかしなことに、それをテレビや押し入れの中にしまうクセがありました。

お気に入りのエピソードや、ショックを受けたこと、心残りなど、
テレビや押し入れに入れておいて、繰り返し楽しんだり、続きを想像したり、
思い通りにならなかった時や、悲しい時など、その場は感情にまかせ、
気持ちが落ち着いた時にあらためて取り出したり・・・

それは、今、私が日常、物事を把握するのと何ら変わらないレベルのものなのです。
なので、「あの時の私は幼かった」という感覚がありません。
今の自分と、まったく同じレベルの自分がいるのです。

そして、ある日、私は押し入れの向こう側を見たのです。

客観的な状況を考察すると・・・
1歳半~2歳くらいだったと思います。
姉は3~4歳、タイツをはいてます。
私は5月生まれなので、秋なら1歳半、早春でももうすぐ2歳といった感じ。
普段、姉や母と離れることはありませんでしたが、
母が妊娠初期(弟)だったか、流産し家で安静にしていた時期に、
近所の方が自分の子供を公園で遊ばせる時、姉も一緒に連れて行ってくれたようです。

ここから、私の記憶です。

私はベビー服を着ています。
ふわふわしたタオル地の、足の先までつながったロンパース。
私はよく転ぶのですが、これなら膝が痛くなりません。
家で姉と遊んでいたのですが、姉は近所のお友達に誘われて、
すぐそばの公園に遊びに行ってしまいました。
私も連れて行って欲しいといったけれど、母は「まだ小さいからダメ」と。
泣きながら大騒ぎして訴えたので、身体が思うように動かず、
ハイハイしながら押し入れの前まで行きました。
押し入れのふすまに向かって、私は始めました。


姉が行ってしまった、
何が悲しいのか = 一緒に遊べないこと
どうすれば悲しくないのか = 一緒に遊ぶ
どうすれば一緒に遊べるのか = ・・・

ここで押し入れの出番なのです
「友達が誘いにこなかったら・・・」とか、
「姉も私と同じ年だったら・・・」とか、
思いつくことは何でも、何度も出し入れしては、考えます。
でも、自分で変えられることじゃないと実現しないので、
何度でも頑張ってみます。
(はた目には、無心に押し入れを開け閉めしているだけのように見えるかな)

一緒に遊ぶといっても、姉と同じように走ったりすることはできないので、
姉を見ながら、自分にできることをして楽しむのですが、
・・・
あっ!!
解決方法を見つけました。
なぜか、それが実現可能だと思ったんです。
「家にいながら、外で遊んでいる姉を見て、私は私で遊べばいい」

そして、公園で遊ぶ姉が見えるように押し入れの奥、壁に向かってゆきました。
何も入っていない押し入れじゃないのですが、
開け閉めしていると、たまに何も入ってない空間ができるのです。

姉が見えました。
公園は高台にあるのですが、階段を上らず、芝生の坂道をのぼっています
これはブランコへの近道なのです。
姉は転んでしまいました、タイツに穴が開いています。
転んだとき、タイツに穴が開いたのを一瞬、気にしましたが
すぐにブランコで遊び始めました。

その後のことはあまりよく覚えていません。
姉が返ってきて、見えたこと、タイツのこと、を話しました。

後日、外に遊びに行けなかった時、
二人で押し入れに入り、公園を見てみたのですが、
まったく見えなくて、
「なんであの時見えたの?なんで今は見えないの?」
って不思議がったのは覚えてます。
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ややや山田さまに面会してきますた〜ヾ(・∀・)ノ

昨夜の講演会&ライブ、

たっのしかっっったぁ〜

山田さまも、玉蔵さまも、エスパー女房さまも、
ご一緒させて頂いた方々も、とても素敵な方々でした。

しあわせです。

図々しくも、打ち上げに参加させていただきまして、ありがとうございました。

また、きっと、お会いできる。

確信しています。

③白神の森と滝、ニュートンの記事を思い出す。

トレッキング、のようなものをしまして。

生まれてこの方、スポーツなどに、一切縁のなかった私。

今年の夏以降、なぜか突然、登山やアウトドアなどの用品に心惹かれ、

というか、サバイバルが気になってしかたなくて。

で、ですね、衝動買いしてしまった「モノ」を使いたいこともあって、白神山地に行きました。

白神の初心者用コースを終えた翌日、

当てのない観光をしている途中、導かれるように車でさびれた林道に入ってゆくと

行き止まりに、落ち葉がはりついた、古~い観光用の案内板があって、

(2秒くらいしか見なかったけど(^_^;))「滝があるらしい」ように見えたので、行ってみた。

車でここまで来れたし、案内板があるくらいだから、大丈夫だろう。携帯もOKだし。
はっきりした一本道じゃなかったら、引き返そう。

距離はどれくらいなのか、何分ぐらいかかる?道のりはきついのか、絶景ポイントはどこか?

なんて、全くない状態で。

おもしろい。

とにかく、何気ない一歩一歩が、鮮明、鮮烈に体感できる。

あたりまえのことなのですが、山の中って、平らじゃないので、

もう、今からの、この一歩をどこに踏み出そうか?の連続で。

力強い滝も素晴らしかった

あとから振り返れば、立派に観光地化された、ちょっとハードなお散歩コース程度の道だったのだけど、

この、「立派に観光地化された、ちょっとハードなお散歩コース程度の道」という概念を、

私自身の体験でつくったのだ、という感覚は、久しぶりだったし、

「今」という感覚もグーニーズ(古いよ)的な楽しさがあって。

前日の「白神山地ガイドブック」みたいなのは、いったい、何をしてたのか、と。

そして、「私は昨日トレッキングをしたのではなく、白神という概念をたどったのだ」ということに気付く。

「概念」だけじゃなく、ライブ感も、大事かも。

概念といえば、

概念はどこで、何が作っているのか、わかったような瞬間がありました。

私は小学校の頃から、「ニュートン」という雑誌をよく買っているですが、

ちょうど1年ほど前、面白い事が書いてありました。

詳細は忘れてしまったのですが、

sirakami1.png

このようなモノが2つあって、

「ガギンガギン」はどっち?

「モアモア」はどっち?

ときくと、ほぼ100%(98%だか96%だか、そんな感じの%)の人が、

sirakami2.png

と、答える。(世界共通)

・・・みたいな、記事でした。

色を変えても同じ。

概念の最初は音なんですね、音色じゃなくて、言葉、音=おん。

「目」でも「触感」でもなく、言葉ってのが、納得。

「目」や「触感」で認知するとなると、こうなるのでは・・・

ガギンガギンの一番最初に見えたところ、触れたところから、ずーーーっと辿って行って、

「あぁ、のぼる・・・あ、結構すぐ下る・・・あ、またのぼる・・・下る・・
いったい何個あったのかな?・・・」

で、何周かするうちに、

「あれ?こののぼりからの、このくだり、前にも感じたかも・・・

・・・!!!もしかして、この世界はつながってる!?」

ってなって、はじめて頭の中にガギンガギンが入るんじゃないのかと。

私の、滝トレッキング(もどき)みたいに。

概念を形作るのにこんなに時間がかかってしまうと、

このガギンガギンが、もし人食いガギンガギンだったら、食われます。

おまけ

①トレッキングを終えた帰り道、視線を感じる、と、サルの群れ・・・ごめんね。

②この滝に向かう途中に見つけた「黒熊の湯」ってかいてあった民宿?

「パワーポット」的なことで言うなら、白神よりも凄いと感じた。

あそこには、山の神様がいる。と思う。























②瞑想カオスの帰り道

②瞑想カオスの帰り道

瞑想している時、「私」を特定しているものを、感覚から外してゆく作業をしていたら、

ドロドロしたところにつきました。カオス。


え・・・? と。



最後はつるんとした、最高に美しい、私の「芯」のようなものにたどり着くのかと思ってた。

もう、ほんと、ドロドロ、「私」として生まれてこなかったすべてのものがいる感じ。

もちろん人間ですらない

chaos1.png

私は闇(仮)ではなかったし、
闇(仮)は私を混ぜなかった、拒絶?

「ドロドロ」の概念としては、「私以外のすべて」

気分は悪くない

イメージは、陰陽、光と闇、対、2

chaos2.png

このなかで動いても出てゆけない

動くと流れが起こるだけ

この図のように対等ではなかったけど・・・


そこで、瞑想の時の逆をしようと。
じゃあ、私は私
と、思った瞬間、ぐるっと湧いて


「2」が交差して「4」になった途端、世界が出てきた
「2」が「4」になった瞬間、最初は闇(仮)と私だけの「2」だった「点」が無限になった

chaos3_convert_20111215091420.png

点は無限にあったのだが、「私」に帰るルートは一本道のグールグル。

死産して大量出血した後の意識不明から帰ってくるときもこのグールグルだったなぁ。

途中は、何と言ったらよいのか、素数の嵐、個性の嵐。

で、真ん中抜けると、自分の体の中、ミクロの決死圏(古っ)で外へ外へ外へ・・・「はっ!!」で目覚め

って感じで、

chaos4.png

で、後で気が付くんだけど、


闇(仮)ではない、ほかの誰かさんがいることも・・・
露天風呂みたいな、恥ずかしい感じ(〃л〃)でした

chaos5.png




神社の祝詞が気になる体験

先週の日曜日、甥っ子の七五三、

伊勢山皇大神宮でお祓い、祝詞「かしこみ~かしこみ~・・・」

すぐ横で神前結婚式が始まった、やはり、祝詞が私に飛び込んでくる。

この音(声?)たちは、8~で(私の勝手なナンバリング)

「あちら側」「異世界」のようなものだったのに(三輪明宏さんの生歌もそうでした)

今は、とても心地の良い和音のような感覚で私の中に渦をつくる。

□□□□□□□norito.png

中に行くほど狭くなっている、中から外に広がる螺旋

ピーンと張ったヒモを、鳴らした時の、「びぃ~んぃ~んぃ~んぃ~んぃ~ん」の

お鍋を何かにぶつけた時の、「くわぁ~んぁ~んぁ~ん・・・」の

「・・・ぃ~んぃ」「・・・ぁ~んぁ」の所みたいな

螺旋の中心が現実に音符であらわされている音、で、ぃ~んは外側に向かってゆく。

今までも「ぃ~ん」の部分は、何段階かあって、今までは時間差で現れて消えて行ってたのに、

それが、いくつも同時に平行にならんで、いきなり和音、に聞こえる。

音が、というか、聞き方?聞こえ方?が変わりました。

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